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2011年10月14日 水産経済新聞より

あの日、そして今 3・11東日本大震災 不屈の経営者に聞く
機能マヒ状態、復興へ決断早かった 気仙沼市 加工業 阿部長商店

 三陸沿岸で水産・観光事業を展開していた阿部長商店。東日本大震災で同社機能はマヒ状態に陥った。だが、阿部泰浩社長の復興・再生への決断は速かった。施設の復旧に力を注ぐとともに、新入社員も含め800人を超す社員を1人も解雇せず、電気・水道などが回復した南三陸工場の再稼動、大船渡食品での「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」といった新商品の開発、東京営業所の開設など着々と再生への道を歩み始めた。
 3月11日、阿部社長は出張先の中国・上海にいた。大震災の発生を知り、急きょ、名古屋に帰国。夜行バスで東京に。車を借り山形経由で14日、気仙沼に帰着する。津波で壊滅的被害を受けた気仙沼工場、鰹・鮪センター、マーメイド食品、超低温冷蔵庫を目の当たりにする。自宅も失った。
 昨年8月、約50億円をかけて完成したばかりの大船渡食品も被災。南三陸工場は津波による被害はなかったが、電気・水道・電話などが使用不能となり、操業が完全ストップ。関連会社の石巻市の渡冷、気仙沼魚市場前のサンフーズ気仙沼も津波の被害を受けた。
 それでも再生を決断した阿部社長。被災した工場のがれき除去、冷蔵庫保管物の廃棄に取りかかる。大船渡食品に採用が決まったものの自宅待機を命じられた5人の新入社員。4月初旬、冷蔵庫内の水産物の廃棄作業を始めると、5人とも自主的に参加する。
 「泥だらけで作業をしている5人の姿を見た。入社前という不安定な中にいつまでもおいておけない」と阿部社長。グループ全体の入社式に先駆け5月6日、入社式を行い「家、町、職場が壊されてもこの大船渡に残り、働こうとする君たちは復興のシンボル。大船渡再生と社業発展のために一緒に働こう」と激励した。
 同社グループでいち早く操業開始にこぎ着けたのは南三陸工場。震災後5日目に工場までの道路を確保し、発電機を持ち込み自家発電で冷蔵庫を冷やして、原料のサーモンを守る。4月18日、電気が復旧。ミキサー車で水を工場に搬入し、サーモン加工品の生産を始めた。
 一方、大船渡食品は津波の被害を受けなかった2階の水産食品生産工場の仕事を再開。8月20日には1階の鮮魚生産ラインが稼動可能に。同時に5つの凍結庫も復旧。さらに2100トンの保管能力をもつ2つの冷蔵庫も使用可能になった。
 早速、「気仙沼ふかひれ濃縮スープ」の開発に取りかかる。また、震災前から大船渡食品が製造・販売していた常温食品の「さば味噌荷」「あぶりさんま」などの生産も再開した。
 7月24日に再生オープンした「気仙沼お魚いちば」。9月17、18日に「秋刀魚が日本をつなぐ架け橋プロジェクト」の第1弾の「秋刀魚まつり」を開催。同社スタッフが炭火で焼いたサンマを市民に無料で振る舞った。
 さらに同社は東京都の支援を受け9月下旬、東京営業所を開設した。今後、三陸の魚介類の流通拡大、水産加工食品の販路増強を目指す。
 阿部社長は「海があり魚がいる限りやり直せる」と、三陸復興への取り組みに全力投球している。